7/10の日記

しばらく日用品か食料くらいしか買い物をしていない。

不要不急の買い物を先延ばしにしていたら元々少なかった物欲が壊滅状態になってしまった。

それでもふいにあれがほしいな、買いに行こうかなと頭をよぎることはあって、だけど朝出勤して仕事をしているうちにすべて霧散してしまう。

今日も帰りに何かを見て帰ろうと思った記憶はあるのだけれどそれが一体何だったか思い出すことができず、仕方ないのでそのまま帰宅することにした。

駅から出ると気分が良かったのでぐるっと遠回りして歩いた。

夕方と夜のわずかの隙間、天気の良い日には空が美しく染まるしそうでない日には厚い雲が時間をも覆い隠す。

風はごうと鳴り、イヤホンから聞こえるバロック音楽とよく合った。

時々思うことだけれどクラシック音楽の作曲家たちもまさか数百年後に文化も宗教も違うこんな遠い地で自分の曲を聴いて感極まる女の存在など想定していないだろうなと。

仕事に疲れて歩くマンションなどの立ち並ぶ住宅街で聞いてもこんなにしっくりくるというのが不思議で仕方ない。

西洋以外の文化圏のクラシック好きたちも自分たちの世界の景色の中で調和を感じているのかな。

思考がまとまらなくなってきた。

今日のような美しい時間のことを表現できる文章力がほしい。

 

おわり。

 

7/9の日記

仕事の具体的なつらい話はあまり書き残したくもないけれど毎日仕事しかしていないから他に話題がない。

このところ人生で出会った中で一番仕事のやり方が気持ち悪い人に悩まされている。

仕事ができないのともやり方が悪いのとも違ってとにかく気持ちが悪い。

なんでそんなことをするのか理解できないことばかりで見ていてオエっとなってくる。

人の仕事ぶりで気持ちが悪くなるという症状が出るとはこの年になるまで考えたこともなかったな。

気持ちが悪いというのはこちらの一方的な感覚で相手にはおそらく非がないわけで、私もいい大人なので態度に出さないようにしているとどんどん精神が削られていくのがわかる。

働くってつらいな。

 

おわり。

7/8の日記

今日は仕事は早く終わっていたけれど頼まれごとがあって30分ほど待たされて退社した。

電車を降りるとホームから見える駅前の建物がいつもと違う色をしているのが気になった。

どういう事態かすぐに察した私は駅ナカの店で夜食べるおやつを買おうという予定を投げ捨てて外に飛び出し、見るとやはり西の空がとんでもない色に染まっていた。

すでに19時を過ぎていたので残された時間はわずか、空がよく見える場所を求めてただならぬ勢いで歩いた。

その間私の先を行く人もすれ違う人も誰ひとり空を気にしてはいない。

なぜそんなに取り澄まして歩いていられるのか本当にわからない。だって、すごいですよ、空。

かなり終わりの気配が濃くなってきた頃跨線橋にたどり着き、見るとそこでは中学生のグループや仕事帰りらしい大人が数名スマホを構えたり空を眺めながら飲酒したりしていた。

やはりいるところにはいるものなのだな。

スマホで数枚写真を撮って帰宅した。

私のこういう美しいものを見逃したくない精神、情趣を解するとかではなく極度の貧乏性という気がする。

 

おわり。

 

7/7の日記

タイトルを入れて、あっ今日七夕だと気付いた。

数年前ソシャゲを一生懸命やっていた時は四季折々にイベントがあって今よりも季節を実感できていた気がする。

まあそんなことはどうでも良い。

今日もつらいはつらいがなんとなくピンボケのつらさという感じがある。

焦点が合っていない感じ。

すでに電気も消した部屋の布団の上でスマホの明かりだけ眺めているとそのつらい現実もまたさらにつかみどころのないものに思えてきた。

寝よう。

 

おわり。

7/6の日記

月曜日、また日記の話題に苦しむ5日間のはじまりだ。

朝起きてご飯を食べて出勤して仕事をして帰宅してテレビを見た。

土日のほとんどを横たわって過ごしているのに月曜には一日ちゃんと椅子に座っていられるなんて我ながらすごいと思う。

ところでブログでブログの不満を語るのもどうかと思うが書く方はともかくなかなか読みたいブログに出会えない。

昔からここ以外にもいくつもブログを渡り歩いてきて私は毎回個人的な日記のように使ってきたし読む側としても人様の生活を綴った文章が読みたいけれど、一般的にブログって情報公開とか宣伝とかの場なのかな。

読者を想定した文章にはなんか冷めてしまう。

より私的な文章というなら最近はブログよりnoteなのかな、みたいなことを考えた。

古のインターネット民だから最近の事情がよくわからない。

いろいろ調べてみよう。

 

おわり。

7/5の日記

家から一歩も出ていないのはきのうと一緒だけどきのうとは違い今日はほとんど何もせず寝ていた。

ただゴロゴロするよりは眠った方がもしかしたら体調も回復するかもしれないと思い、一度たたんだ布団を敷き直してすやすや眠った。

起きた時には過去に出かけた時のブログの記事を読み直して私は本当にこんなところまで出かけて行ったのかなあと不思議な気持ちになったりした。

私のひとり旅はいつでもどこでも密とはほぼ無縁だけれど今年は旅らしいことはしないような気がする。

きのうせっかくギターの弦を張り替えたけれど独学での習得は難しいようなので練習してもしょうがないなと思って今日はケースから出さなかった。

習いに行ってみたくても月謝を払い続けられるかわからない。

この事態になって心理カウンセリングに通うのを中断していて、ちょうどやめ時を探していたからこれを機にフェードアウトしてしまおうかなと考えているけどその料金でギター教室に通えないだろうか。

それにしてもまあまあ普通に会社員として働いているのにどうしてこんなにお金がないのかな。

 

おわり。

7/4の日記

しばらく体調が悪く日記が書けなかった。

今も別に体調が良いわけではないけれど。

数週間前の診察ではすぐに良くなるよとのことだったけどなかなか良くならないから再度診てもらったほうがいいのかもしれない。が、仕事が休みづらくてなんとなく先延ばし。

 

今日は朝から実写版美女と野獣を見た。

感想を言いたくなるタイプの映画だったので、記録用のアプリにも書いたけどこっちにもコピペ。

映画の感想はいつも公開しないタイプのアプリに記録している。

誰かと共有したいという気持ちとのせめぎ合いはあるけど、ツイッターにはあまり感想を書かないようにしている。怖いからだ。

ここはどうせほぼ誰にも読まれないだろうからいいでしょう。

 

美女と野獣」の実写版、どうやら約1年前の金ローで放送していたようで録画しておきながらそのことをすっかり忘れていた。

見てみたいけどレンタルするほどでもないし、と思っていたら録画リストにあって驚いた。

少し前にアニメの方を見たけど実写の方はそれより少し話が掘り下げられていてよかった。

ベルと野獣が親しくなるところがアニメは急展開だったけど実写の方はもう少し丁寧だったと思う。

ストーリーはまあそんなところだけど実写のガストンがものすごくガストンだったので驚いた。こんなにぴったりの人いるんだ。

野獣はビジュアルが昔見た野球の田中将大の犬がトリミング失敗した時の画像に似ていてそればかり思い出してしまった。

あと今乙女ゲームにはまっているので、心が凍りついた恐ろしげな大男だけど愛嬌もあるというのが自分の推しと重なってしまってきゅんとした。

そういえば野獣が王子に戻った時誰かに似てるなと思ったら似てるとかじゃなくダウントンアビーのマシューだった。貴族顔なのかな。

衣装がなんだか独特だった気がする。

上着を着ているヒロインって珍しくない?

ベルの普段着の襟がタオルを首にかけてる人みたいに見えて嫌だった。海外にはタオルを首にかける文化はないの?

私はもうちょっと古典的な衣装が好きだ。

先日病院の待合室でこれじゃない方の実写版美女と野獣が流れていて、途中で診察に呼ばれてしまったのでちょっとしか見られてないけどあれの方がリアル寄り(この世界観でリアルってこともないけどたぶん歌とか歌わないので)で最初からちゃんと見たい。

以前プライムビデオに入っていたはずだけど見放題の時に見損ねてしまった。残念。

 

感想を書きたいと言っておいて大したこと言っていないじゃないか。

 

今日はさらにプライムビデオで「動物のお医者さん」のドラマを見て、それから数ヶ月前から気持ちだけはあった「ギターをギターケースから出す」を実行した。

弦が切れていたのでネットで調べながら張り替えをしたけど複数のサイトを並行して見てしまったのでそれぞれの弦でなんかようすが違ってしまったし弦を巻く方向も全部間違えている気がする。

ちょっと音を出したりして、ネットで検索するとやはりクラシックギターの独学での習得は難しいようだった。

そもそもコツコツ努力することがあまりにも苦手なのでお金をかけたところで上達する気がしない。

(ピアノを習っていた幼少期の苦い思い出が蘇る…)

しばらくぶりにケースから出したギターは目にも美しく何かわからない良い匂いがするのでたまには手に取って愛でるのも良いなと思った。

しまう時、ギターケースは棺桶に似ていると気付いた。

 

おわり。