6/25の日記
今朝方の夢は大変恐ろしかった。
部屋のトイレから出て玄関の前を通り部屋に戻ろうとすると、現実にはそんなところに置かれてはいないゴミ箱が横倒しになって中のゴミが玄関に散っていた。
おや?と思いながらもゴミを拾って戻しつつ、ふと目をあげると目の前の玄関のドアが薄く開いている。
…………
ほんの一瞬考えて、ハッと部屋の方を見ると私がトイレに入っている間に侵入したらしい知らない男が部屋を物色しながらちょうどこちらを見ていて、私と目が合うとニヤリと笑った。
私は外へ転がり出て、逃げようとしたけど力が入らず動けなくなってしまった。
スマホを取りに部屋に戻ることもできず、どうすることもできないでいるうちに部屋から侵入者が出てきて「やらなければやられる」という恐怖に駆られた私は落ちていたビニール傘を手にとって男の喉に突きつけた。
喉仏を押さえればなんとかなると思っていたのに、ぐいぐい押し込んでも男には何のダメージもなく平気な顔をしていて、あ、これは終わったと思った。
周囲に危機を知らせなくてはと声をあげようとするのだけれどどんなに叫んでも息が漏れるような音しか出ず、それでも叫ぶのはやめなかった。
そこまでで目が覚めた。
ところで今日は職場での最近の窮状を上司に訴えてみた。
今すぐの解決は得られなかったけれど上司は思ったより話を聞いてくれた。
私のせいで他の人に影響が出るかもしれないと思うと心苦しく黙っていればよかったかなと思ってしまうけれど、たまには「自分が我慢すればそれで済む」以外の道を選ぶのも人生経験だろう。
あとはなるようになれ。
勢いづいて久しぶりに友人に連絡をした。
話したり笑ったりできてよかった。
本当によかったよ。
おわり。
6/23の日記
体調は相変わらず良くない。
薬を真面目に飲んでいるけど効いているのかどうかわからない。
会社でお昼を食べるのが嫌で、今日はものすごく久しぶりにモスバーガーへ行ってお店で食べた。
店内ではずっと洋楽のBGM流れていたんだけど、帰ろうとした頃に「あなたにいてほしい」が流れてきてびっくりした。
最近25年ぶりでドラマ「愛していると言ってくれ」を見て、近い時期の常盤貴子主演つながりでなんとなく思い出していた「真昼の月」の主題歌だった曲で、私はシングルCDを持っていた。
「真昼の月」は明るい話ではなかったけど私はなんだか好きだった。
昔見ていたドラマといって一番思い出すのはこれかもしれない。
このドラマの織田裕二もよかった。
あの頃、あえてこちらから追わなくても気がつけばそこに織田裕二はいるという感覚だった気がする。
私も取り立ててファンだったことはないけど出演作をたくさん見た記憶があるし、当時よく遊んだゲーム「かまいたちの夜」で主人公の下の名前を「織田裕二」にして、真里に「織田裕二ったら」とか言われるのを楽しんでいた。
当時RPGとかでカタカナの名前をつけられるのはよくあったけど、漢字が使えることがめずらしくてテンション上がってしまったんだろうな。
最近はじめて見た「東京ラブストーリー」の織田裕二はやはりまだちょっと早くて、もう少し寝かせるとちょうど良い感じだと思った。
なぜだか織田裕二の話になってしまったな。
おわり。
6/20の日記
タイトルを入れた時点で「えっ今日20日なの?」という驚きが。
今年は特に時間の流れが把握できない。
今日はどこかに出かけてみようかな、とも考えていたけれど体が動かずだいたい寝て過ごした。
きのうから飲みはじめた薬は今のところ効くのか効かないのかよくわからないけど胃には確実に影響していてしんどい。
昨年の6月のように死にたい死にたいばかりの日記を書いても仕方がないのでなるべくその日の出来事を記した日記らしい日記を書きたいとは思っているけどただ寝て過ごした一日に書くべきことは何もない。
あ、そういえば少しずつ見ていた平成版東京ラブストーリーの最終回を今日見たのだった。
最初は私はバブル期の若者の浮かれた日常を楽しむ目線で見ていた。キャラクターも全員理解できないしイライラすらも楽しむような。
この前に令和版を見ていて、初めからどうも平成版はノリが軽いというか表面的だなと感じたけれど、慣れるとそれが心地よく、逆に令和版はやたらキャラを繊細に見せていたしいろいろと説明くさい描写が多かったなと思った。
平成版はリカもさとみも必要以上に内面には立ち入らず背景もあまり説明されなかったけど、ちゃんと2人のキャラの行動として描かれていて納得できた。共感とはまた別として。
現代との比較含めておもしろく見られた。
とりあえずは早く健康状態が戻ってくれると良いと思う。
おわり。
6/19の日記
今日は仕事を休んで病院へ。
今までとは違う科を受診しようと思い検索したところ近所にはなかったので電車に乗って出かけた。
昔からほとんど病院とは無縁の生活だったこともありいまだに病院へ行くこと自体が恐怖だというのに、移動中電車の中でこれから向かう病院のクチコミを読んだら不安をあおる書き込みばかり目について今からでも引き返そうかと思ってしまったけれど、なんとか病院へたどり着いた。
街の小さなクリニック的なところではなく複数の科がある大きめの病院というのもあまり受診したことがないので「うわ、病院だ」という感じだった。
待合室も空いていてそこまで待たされることもなく、呼ばれて診察室に入るとけっこうなおじいさんがいて、これまでの経験上おじいさんの医者はあまり優しくない気がしていて身構えてしまった。
「今日はどうしました?」みたいなセリフで診察がはじまるとすぐに「おや?」と気になった。
おじいさんがパソコンのキーボードを一生懸命左右の指一本ずつで叩いている。
その一生懸命な姿に、「ちょっと、これはまずいのではないか」と感じた。
質問されたので答えようとするとおじいさんは「あーちょっと待って」と私の話を遮って入力作業に集中しており、もちろんブラインドタッチとかいう段階ではないのでひとしきりキーボードをたたいたあとで画面を確認していた。
他の病院ではどうなのかわからないけど、お医者さんが入力しているPCのモニターはお医者さんの前ではなく患者である私の方を向いている。
これって患者に見せる用の画面なのだろうか。
見ていて良いものなのかわからないまま目の前の画面で展開されるおじいさんの苦労。
本当に、これは入力するための助手を雇った方がよいのではないか? というレベルで、視線を落したまま間違えて文字を打ち続けたり誤変換していたりするさまを、私は見ているけれど本人は気づいていないという状況が何度もあって、これは間違えた瞬間つっこんだ方がいいんだろうか、とか、一連の文章の中に誤変換があったら「あれ? 違うな」とか言いながら文末からすべて消していって再度打ち始めるので「いやカーソル持って行ってそこだけ消して!」と教えてあげた方がいいんだろうか、とか考えていたらだんだんおかしくなってきてしまった。
その後紙に書きながら症状を説明してくれる時にはさらさらと鉛筆を滑らせながら流暢に話し始めてまた笑えてきた。
この先生にPCを使わせるのは何かをものすごくロスしているような気がするのだけれど、それでも自分の度重なる入力ミスにイライラしたりすることもなく悠然とPCの業務をこなすおじいさんがなんだかとても良かった。
私がものすごく急いでいたりもっと深刻な病状だったりしたらそうは思えないかもしれないけれど、今日は「あー、おもしろかった!」と思いながら病院をあとにした。
帰りに少しだけ公園を散歩した。
よく訪れていた場所は数ヶ月ぶりでもあまり久しぶりと思えない。
でも緑の濃さが数か月前とは明らかに違っていた。
雨の森で緑の海におぼれるような感覚があった。
仕事を休んでしまったものは仕方ないから時間を有効に使えばよいものを、ずっと仕事のメールをチェックしながら気もそぞろにプライムビデオでドラマを見ながら午後を過ごした。
日曜の再放送を待たずに「愛していると言ってくれ」は見終わってしまった。
「東京ラブストーリー」はあと1話まで進んだけれど重たいので一気には見られなかった。
最近ドラマの中の来ちゃった女に理解を示す自分がいる。
東京ラブストーリーのさとみもそれはいらいらはするけど、人間悔いのないように生きるしかないじゃんね。
おわり。