6/16の日記
6/16(日)
日記をつけることにした。
思い立ってからすでに数日経っているところからして長続きはしそうにない。
最近一日の切れ目がよくわからないような、「仕事をしている」という同じ状態がずっと続いている気がして、どうしたら今日と明日を分けられるのだろうと考えたら日記がいいのかなと思いついたのだった。
私はいつも働いている限り自分の生活ができないと感じていて、それはなぜだろうと考えると帰宅してから翌日までとか、週末の時間とかが昼休みのちょっと長い版くらいの感覚なのかなと思った。
今日は日曜だけど上に書いたように仕事中の昼休みのちょっと長い版なので個人的な予定を入れる気にもなれないし何もやる気は起こらない。
買いたいものも何もないけど、以前よく行っていた雑貨屋さんがふと頭に浮かんだので歩いて向かうことにした。
昨日は激しい雨だったのに今日は快晴で、特に何も考えずに家を出てきてしまったけど七分丈の袖から出た腕が日差しで痛みを感じるくらいで、途中コンビニで日焼け止めを買った。
今年日焼け止めがほしいなと思ったタイミングはこれまで何度もあったけど今日まで気力がなく買えずにいた。最近買い物もままならない。
歩きながら以前書きたかった小説のことを思い出していて、住む場所を失った主人公があるきっかけで古いアパートに住むことになり、他の住人とのやりとりなどを経て最終的には破たんしてしまうのだけど、春から夏にかけて三か月ほどの物語で、何も形にはなっていないけど暑い夏の日のラストシーンは頭の中にあった。
そのことを思い出したとき、三か月の物語ということに自分で驚くような気持になってしまった。
ドラマの1クール三ヶ月というところからして、三か月もあれば人にドラマを起こすには十分な期間なのかもしれない。
環境が変わるかもしれないし、三か月前には見ず知らずの他人だった人と親しくなっていることだってあるかもしれない。
私にもそんな感覚があったからこの物語を考えたんだろうけど、今の私はもうそうではなくなってしまった。
そんな期間に何が起こり得るというのか。
三か月前ときのうが何も違わない。それどころか一年前から今まで私に何か変化があっただろうか?
この先もきっとずっとこのまま続く。
ぞっとする気づきだった。
玉川上水沿いの歩道では今日は木漏れ日がたくさん落ちていた。
木漏れ日が丸い形になっていることに気付いたのは数年前だったけど理由はまだ調べていない。
たくさんの美しい光の丸がゆらゆらしていて今日の木漏れ日はなんだか特に印象的だった。
都会に近づいたら急につらい気持ちになってしまい泣くのをこらえながら雑貨屋さんを2か所だけのぞいたけど何も買う気にもなれずそのまま帰宅した。
最近子供が泣く前みたいなひっひっとなるのが抑えられなくて困る。
あとは疲れて寝ていた。
読書もゲームも何もできていない。
本当にそろそろ無理な気がする。