関西の旅 4
2日目のつづき。
奈良の楽しさも好きな場所もたくさんあるけど、中でも大和三山が良い。
和歌に詠まれた光景が目の前に…! という感慨ももちろんのこと、ただ見るだけで山の存在感と姿の美しさに目を奪われる。
が、大和三山と言いながら今まで香具山だけ場所的によく見えなかったり周りの風景と一体化して山の形をはっきり見た記憶がなかった。
今回の旅の前に大和三山に関する本を読んで、中大兄皇子の「香具山は畝傍ををしと耳成と…」の歌の男女の解釈がいまだに分かれていることや、古代の人にとって三山の中で一番重要なのが香具山だったり、藤原京がちょうど三つの山に囲まれた場所にあったことを知り、藤原京跡からしっかり3つの山を見てみたい、という願望が湧き起こり、それを叶えに行った。
地図を見る能力がないくせに事前に調べるということをせずGoogleマップとか見て適当に歩き出すタイプなので、ざっと見て「ま、行けるだろ」と思ったところがだいぶ厳しい距離だったりすることが多い。
ん? 思ったより遠いな…と途中で気づいたところで時すでに遅し、である。
藤原京跡へ行く前に「奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室(長い…!)」へ寄るつもりで、地図で見て「ま、行けるだろ」と歩いて向かったところ、まあまあ遠かった。しかも交通量の多い道沿いというのも厳しいポイントだ。
ところで大和三山についての本に出てきた神社が気になっていたのだけどどこにあるのかよくわからなくて、行くのは難しいかなと思っていたらなんとこの「奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室(どう略せばいいの?)」の隣だった。
またしてもうれしい偶然。
畝尾都多本神社。
泣沢女神が祭神で井戸が御神体とのこと。
檜隈女王が高市皇子の蘇りを祈った歌が万葉集にあり、飛鳥時代から存在していた神社らしい。
今は水の気配はなく、静かな空間だった。
この神社について、本を読んだ時には気になるポイントがたくさんあったはずだけど時間が経って残念ながら忘れてしまった。
また読み返したい。
続いてすぐそばの「奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室」へ。
私の旅、なぜか立ち寄るこういった資料館の類が休館中の確率がやけに高く、今回もまったく人の気配がないためもしや…と思ったけどちゃんと開いていた。良かった。
この日海外のバックパッカーみたいな荷物を背負って歩いていたのだけど、入館するなり職員の人が荷物見ててあげるからベンチに置いて行くといいですよ…と声をかけてくれてありがたかった。
藤原京についての解説とか出土品の展示があって充実していた。
藤原京って一般的にはあまり知名度がないみたいだけど私はちょうどその時代の作品でなじんでいたせいか平城京と並ぶくらいの都として受け止めていたので、ここで初めて藤原京がたった16年で遷都していたことを知って、説明してくれていた職員の人に「16年!?」と大きめの声で言ってしまった。
政治的にいろいろあったんだね…
また、橿原市の藤原京資料室に藤原京の模型があるよ、と教えてもらい、後ほどそちらも行ってみることにした。
資料室を出て、少し歩くともうそこは藤原京跡、というか資料室自体跡地の一角なんだと思うけど。
そして今回やっと、しっかりと香具山の姿を認識した。
耳成山、畝傍山と違いなだらかな形をしているので、インパクトはない。
これまでももしかしたら視界に入っていたかもしれないけど、うまく認識できなくても仕方ないかなとは思った。
でもこれが、飛鳥時代の人には特別な山だったんだな…
持統天皇もこの山を見て「春過ぎて夏来たるらし…」を詠んだのですね、同じ山を見ているなんて、すごいね。
つづく