散歩

このご時世、私お得意の引きこもり生活はむしろ推奨されるべきものかもしれないけれど、放っておいたら3連休を寝て過ごすことも十分あり得そうで、このところの著しい体力低下も危惧されあえて自分に外出を課す必要があった。

ある時のような「今日海を見ないと死ぬ」といった差し迫った危機感もなく、交通費をかけるのも惜しく思われたので定期圏内で散歩しようと考えた。

上京したての頃、時間はあってお金のなかった時代もよく定期圏内を歩き回ったものだった。

……あれ? 時間はまあまあるけどお金がないのは今も変わらずでは?

 

とりあえず電車に乗り、信濃町で降りた。

神宮外苑イチョウ並木は今きれいだろうなと思いながらそちらへは向かわずに外苑と赤坂御用地との間の道を歩いた。

防疫意識というよりも純粋に人が多い場所が苦手なのと、この時期のイチョウ並木は何度も見たことがあったのでまあいいかなと。

なんとなく六本木方面を目指すにしても、散歩全盛期の頃の職場が赤坂方面だったためどう歩いても見知った景色ばかりになってしまう。

それでもなんとか歩いたことのない道を探りながら進んだ。

カンボジア王国大使館の辺りは初めて通ったと思う。

なかなかの急坂で、坂ブームだった頃ならきっとバシバシ写真を撮っただろう。

 

氷川神社の裏手の坂は以前もぐっときて写真を撮った記憶が鮮明にある。

あれは16時に仕事が終わってぶらぶら歩いた日のことだった。

f:id:wa_ta:20201123233200j:image
f:id:wa_ta:20201123215335j:image

 

神社は特に参らず素通りした。

 

このあたりからなんとなくとりあえずの目的地が定まって、またどうにか知らない道を選びながら進むとついに見えたよ東京タワー。

f:id:wa_ta:20201123233316j:image

 

何か大掛かりな工事が行われていてクレーンがいくつも伸びていた。

f:id:wa_ta:20201123215459j:image

それがすべて東京タワーの方向に傾いていて、さながら皆で東京タワーを崇めているみたいに見えたのだけど「崇める」じゃなくてもっとふさわしい表現があるような気がする。「傅く」? どうもしっくりこず、語彙力のなさがもどかしい。

とにかくこれがこの日見つけた一番良いものかな。

 

東京タワーは大きいので、もうすぐそばかなと思っても意外と距離があった。

近づくにつれて立ち止まってスマホを構える人の姿が増える。やはりそこはさすがの東京タワー。

f:id:wa_ta:20201123215609j:image

f:id:wa_ta:20201123215717j:image

私も例外ではなく。

ちょうど青空にタワーの赤色が映えていた。

 

少しのぞいてみた感じ親子連れなども遊びには来ていたけれど、やはり普段の休日とは人の数が全然違う気がした。

 

東京タワーの真下に森があるのがいかにも東京という感じだな、と思いながら寄ってみると「もみじ谷」という風流な名称が示されていた。

しかも10メートルほどの滝もあって、これが江戸時代ならきっと浮世絵に描かれる名所だななどとよくわからないことを思った。

ここは江戸時代からもみじの名所だったそうで、もしかしたらタワーはなくても実際浮世絵の題材になっているかもしれない。

 

f:id:wa_ta:20201123215900j:image

 

以前見た増上寺越しの東京タワーはこれもまた「東京」という感じで良かったけれど、今増上寺は工事中のようだったので立ち寄らなかった。

敷地の脇を通った時お線香の匂いがして、最近自社仏閣を訪れるような旅をしていないなあと改めて思った。

 

とりあえず目指していた東京タワーを見終えてしまい、竹芝桟橋で船でも眺めて浜松町から帰るくらいがいいかな……と思ったのだけれど、めずらしくこちらの方面まで来たからにはもう少し足をのばさなくてはもったいないのでは、という貧乏性のさがで大門から大江戸線に乗って勝どきまで行ってみることにした。

 

今でも時々襲ってくる謎の「大きい水を見ないと死ぬ」という衝動は、考えてみれば若いころからあったようだ。

お金も行動力もなかった私には海を見に行くという選択肢はなく、どうしようもなくなった時にだけ東京の東側へ大きい川を見に行った。

勝どきや月島が精一杯の逃避行だったのだ。

今ではこの辺りからずいぶん足が遠のいていだけれど、生き延びられたのはこのエリアのおかげかもしれないんだよな。

 

勝どき駅から出て有明方面へ向かった。

きっとここ数年でこの辺りは大きく様変わりしたのだろうなと想像するけれど、有明方面を訪れるのは初めてだったので実際のところは知らない。

新島橋の手前で「十返舎一九の墓」と書かれた碑が視界の端に入ったのだけれど、そこそこ通行人の多い歩道でちょっと立ち止まることができなかった。

すべてが新しい街というわけでもなく江戸時代からの名残もあり、十返舎一九がこのタワマン群を見たらどう思うのだろうなどと考えた。

 

朝潮小橋という歩行者用の橋を渡った。

f:id:wa_ta:20201123233940j:image
f:id:wa_ta:20201123233936j:image

 

晴海の方へ渡るとあたりはますます十返舎一九も驚きの様相になってきた。

現地には何の説明も出ていなかったけれどグーグルマップで見ると「オリンピック選手村」と書かれた一帯があり、大きな建物がたくさん並んでいる割に人の気配はなく、都バスだけがやたら運行していたのだけれどあれはいったい誰を運んでいるのだろう?

意図せず「密」とは真逆の場所へ来てしまったなと思った。疎?

f:id:wa_ta:20201123234158j:image
f:id:wa_ta:20201123234207j:image
f:id:wa_ta:20201123234203j:image

 

日没前に晴海ふ頭へたどり着いた。

竹芝桟橋ではなくこちら側へやってきたのは夕日を眺めるためでもあった。

現在の船の運航状況はよくわからないけれどターミナルも人はまばらで、訪れるのは良いカメラを手にした人やジョギングの途中で立ち寄ったような人くらいだった。

沈みそうで沈まない夕日を待ちながら、海を隔てて東京タワー方面やレインボーブリッジ、豊洲市場らしき建物群などを眺めた。

昨年はレインボーブリッジを徒歩で渡るブームがあり何度も歩いたなあ。

 

f:id:wa_ta:20201123234716j:image
f:id:wa_ta:20201123234723j:image

f:id:wa_ta:20201124001943j:image
f:id:wa_ta:20201123234752j:image

 

日が沈むと一気に暗くなり、あの人の気配のない街を通って帰ることを思うとつい足早にその場を去ってしまった。

帰り際逆にこれから埠頭へ向かう何人かのカメラマンとすれ違った。

あれは夜景狙いの人たちだったのかもしれない。

 

ゴミ焼却場の煙突が印象的で写真を撮ったけどこういうのは近所の人が見たら何をしているんだろうこの人はという感じだろうか。

 

f:id:wa_ta:20201123234917j:image

これがシュールレアリスムか何かの絵画っぽいなと思いながら思い出せずにいる。

 

晴海のエリアには駅がないので勝どきまで戻った。

夕方の買い物客などがたくさんいて間違いなく人が生活している街なのだけれど、これまでの自分の生活圏とあまりにも違ってなんとなく怖いような感じがある。

最近JRしか使うことのない生活なので大江戸線にたくさん乗れて楽しかった。

そういえば定期圏内で散歩する話ではなかった?

まあいか。

 

おわりです。