関西の旅 8

4日目のつづき。

 

記憶が極限まで薄まってきているのを感じる今日この頃。

頑張れ私の脳…!

 

須磨で海を眺めた後は大阪に移動した。

この辺の電車移動のことはさすがにもう思い出せない。

何分くらい乗っていたのか立っていたのか座っていたのか、車窓から何が見えたのかも…

 

大阪に、いつかは行ってみたいけど「絶対!」というほどでもなく、機会があれば…と昔から思っていたスポットがあり、同行者もなければ決まった予定もない、ちょうど大阪を通過するというまたとない絶好の機会の今回行ってみることにした。

 

摂津国一之宮 坐摩神社

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以前から続けるともなく続けてきた一之宮めぐりの一つとして訪れたかったのと、珍しい三ツ鳥居も見てみたかった。

奈良の檜原神社で見た時には驚きがあったけど、この神社の三ツ鳥居はなんとなく塀と一体化しているようで、何も知らずに訪れていたらちょっと見逃していたかもしれない。

 

それからなんといってもここは渡辺姓発祥の地ということで…

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住所表示の番地が「渡辺」。

 

通名字は全国のいろんな場所で発生するけど渡辺姓はすべてこの場所から出て全国に広がっていったらしい。

字面が海っぽい気がしていたけど場所は街中だったな。あれ、もしかしたら当時は海のそばだったのか?

 

この時も観光用のマップなどは持っておらず付近をGoogleマップで眺めていたら、ここから直線距離で100メートルくらいのところにとても気になる情報が載っていた。

 

芭蕉終焉の地」

 

かつておくのほそ道めぐりをして出発地も結びの地も訪れたし出身が伊賀上野という情報くらいは持っていたけど、芭蕉が大阪で亡くなっていたことは知らなかった。

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それもこんな大きい道路の分離帯のところで…(今になって地図見て気づいたけどこれがよく聞く「御堂筋」というやつだったのか…!)

熱を出した時など軽率に「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」を思い浮かべてしまう私だけど、まさにその句が詠まれた場所に立った…すごい…

 

時間配分的に大阪でもう一か所くらいどこかに寄れそうで、また地図を眺めているとそう遠くない場所に「難波宮跡」を発見。

奈良で平城京藤原京の跡を巡っており、「~めぐり」というくくりで各地を訪れるのが好きな私は「今回の旅は古代の都の跡めぐりになるな」と難波宮跡へ向かった。

 

難波宮跡は大阪城のすぐ南にあり、敷地は難波宮跡公園という公園になっていた。

平城京藤原京を訪れての学びとして、都の跡ならば当然南側から入るのが正解だろうな、と、わざわざ南に回って入ってみたけど、これといった案内などは見つからず、結果的には帰り際に公園の北西の方に案内や解説が出ているのを見つけた。

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比べるものではないだろうけど、奈良の平城宮跡の美しい野原のことを思った。

公園としての雰囲気もあまりにも違った。

 

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大極殿跡からちらっと大阪城が見える。

当然古代には見られなかった光景だ。

 

難波宮は最近までそんなに知らなかったけど、大化の改新頃のゴタゴタした時代の都だったり、聖武天皇が各地を転々とさまよっていた中に難波宮もあったり、この時代の小説や漫画を読むとわりとよく登場する場所だった。

 

それにしてもかつて同時代の都の跡として、平城宮難波宮のあたりの現在の繁栄ぶりがここまで違っているのも興味深いな。

交通の便の違いだろうか。

 

すぐそこにあることは知りつつも大阪城はまたにして、たった数時間の滞在で大阪を後にした。

今回で大阪は二回目で、前回は堺市百舌鳥古墳群めぐり、今回は渡辺発祥の地やら難波宮跡やら、ちょっと古代に寄りすぎているなと思う。

いまだにあのテレビで見るような大阪はどこにあるのかわからない。

いつか訪れる日は来るだろうか…?

 

つづく